誰しも、自分の存在を気にかけないことはない。しかし、本当に自分の存在を大事にしている人は稀である。その実、他者のことばかり気にしていて、他者との相対関係のもと自分なるものをつくっている場合が多い。そうしてできた「自分」は空虚な存在でしかないから、ちょっとしたことで容易に崩れ去ってしまう。時にそれが過剰に現れると非難の的にもなるが、たいてい「お互い様」ということで、馴れ合っている。わたしは、世のそうした傾向を特に非難する気にはなれない。わたし自身、ある程度そうだとも思っている。しかし、それが政治的な場面で現れるとなれば、話は別である。独裁者は、その最たるものであろう。独裁者は、自分の存在をこの上なく空虚な仕方で大事にしようとする。その眼差しは、決して自分の内面に向かうことはなく、ただただ外部へ、他者へと注がれる。最初は国内に敵を見いだし、次第に国外に敵をつくりだす。そうして、いずれその国は独裁者自身の存在の肥大化とともに崩壊するに至る。これはむろん独裁者自身の問題だけではすまされない。わたしたち一人ひとりの存在の空虚さが招いた結果でもある。そうした悲劇をくり返さないためにも、つづら塾での学びは大いに意義あるものとなろう。