学問研究、特に自然科学研究の水準を測る指標として、「高被引用論文数」なるものが注目されている。それによると、日本の順位は年々低下傾向にあるようだ。「高被引用論文数」だけで学問研究の水準を判断するのは危ういが、日本の学問研究の水準は全体としてかなり低下しているのではないかという実感を、わたしも抱いている。その要因について考えるに、わたしが最も危惧しているのは、学問的エートスが研究者自身に見られなくなっているのではないか、ということである。もとより学問が万人に開かれるのはよいことである。しかしその結果、学問が競争の道具と化してしまい、高尚な学問的精神を育もうとする気風が失われてしまったように見える。かつてわたしが高校受験や大学受験に際して直面した危機が、まさにそれであった。わたしの周囲に高い学問的エートスの持ち主はいなかったが、わたしは幼少の頃から密かに伝記や古典を通じてそれを受け継ぎ、自分のなかにしっかりと根付かせていたのである。だからわたしには、受験勉強こそが「学問の危機」であったのだ。知ってか知らでか、大学人がいまだにそうした自己矛盾を犯しているのは実に滑稽である。研究資金の確保も大事であるが、長い目で見れば、学問的エートスのあるやなしやが学問的成果を左右するものであることを、まずは大学人が深く自省すべきであろう。大学は、象牙の塔であってよい。